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おくりびとは映画として公開されますが、原作は小学館文庫の「おくりびと」という百瀬しのぶさんのものがあります。
どちらもおくりびとの原作として脚本家の小山薫堂さんに脚本を書く上でインスピレーションを与えているようです。
またおくりびとの作品の中で影響を与えているであろうと思われるのは「ぼくが葬儀屋になった理由(わけ)」をお書きになった冨安徳久さんの本も欠かせません。
どの作品も多大な影響を与え、これらの作品がおくりびとのなかで静かに息づいているようです。
いくつかの「葬儀」「納棺」など、人の死に対して向き合う仕事を描いた作品が映画のなかで描写される世界を支えているようなのが、おくりびとです。

おくりびとの原作は「これだ」と断定しきれない部分があって、実のところは曖昧になっています。
3つの作品のエッセンスを抽出しておくりびとという映画が生まれ、登場人物たちが生まれてきたのではないでしょうか。
しかしその中で、おくりびととして生きていくことを静かに選んでいくのは、どの作品でも共通しているようです。
ところが映画の中ではあまり原作のことには触れられておらずに、おくりびとという映画作品としているのです。
しかしおくりびとという映画作品は、それだけでも十分すぎるほどに完成していますから、原作と言うよりモチーフになっているのかもしれません。

おくりびとは実は「これが原作」ということを定めておらず、原作であろう3つの作品にもあまりたくさんの共通点はないようです。
ただ「人の死に向かい合う仕事」を主人公がしていることが共通点で、おくりびとの主人公の造形に影響を深く与えているようです。
原作として一番濃厚なのは百瀬しのぶさんの「おくりびと」のようですが、こちらでは主人公より納棺師という仕事に重点がおかれているようです。
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おくりびと、というとやさしく響きますが、現実には納棺師は葬儀屋ですから、死というタブーを仕事としているわけです。
またおくりびとでは、主人公の妻が世間の代弁をするように、人の死を仕事にしているという偏見を吐き出すようあらわにするのです。
おくりびと、というやさしい響きにしても、現実の納棺師は仕事が困難で精神的にも辛いのに、理解者が少ないことを主人公の妻が表しています。
どんな仕事にも貴賎はない、といいますが、現実には差別されたり、偏見を受けたり、そしりを受ける現実をおくりびとでは描いています。
決して人の死を仕事にしているだけではなく、死者の姿を整え、おくりだすという、おくりびととしての仕事に目覚めていくのです。
おくりびとはただ納棺師の仕事を教えてくれるだけではなく、自分が本当に今の仕事に対してどう考えているのかも付きつけてくる映画です。
おくりびとの主人公は次第に見習いから始め、納棺師という仕事に矜持を持ち、死者の姿を自分から整えるようになっていきます。
その姿にはおくりびととしての誇りがあり、死者と真正面から向き合わなければならないという仕事を誠実にこなしていきます。
おくりびとについての情報をサイトやブログ、掲示板を使って集め、おくりびとのように自分が仕事にどう向き合っているかを問うのもいいでしょう。
仕事にフォーカスを当てるとなると、おくりびとは一人前の納棺師として誇りを持って臨んでいくまでの映画でもあります。
自分自身も死を仕事にするということに負い目を持っていた主人公が仕事に誇りを持つようになる成長のおくりびとの描写はどの仕事でも同じです。
ですから今、自分の仕事に対して迷いがある方がおくりびとを観ると、一度、自分の仕事に対して振り返るかもしれません。
特に仕事に対して意欲を失っているような方には、主人公の姿を観て、自分を見つめ直すチャンスを与えたくなる映画がおくりびとです。

ときに悲しく、ときに切なく、またときにユーモラスな葬儀の光景を目にするおくりびとでは、いつか自分がおくられるようになったら、と考えさせられます。
実際の葬儀では、おくりびとのようにはうまくいかず、残された人々の思惑が渦をまいていたりして、いたたまれないこともあります。
しかし物語の中で描かれている葬儀の光景は、悲しみはもちろんありますが、死者をおくる人々は満足しているように見えるのがおくりびとの世界です。

おくりびとでは、主人公が納棺師ですから、葬儀が仕事になり、さまざまな葬儀までの準備も描かれています。
おくりびとの影の主人公は、おくられる死者かもしれませんが、その死者たちもさまざまです。
ある死者は深い悲しみを、ある死者は思わぬ秘密を、ある死者は愛されながら、というさまざまな死者をおくりびとでは葬儀の準備に見ることとなります。
おくりびとでは、葬儀は厳粛に行われますが、その葬儀の準備のため、おくりびとである葬儀屋の仕事も見ることができます。
葬儀の準備のシーンは、もうひとりの主人公である死者と主人公であるおくりびとの人生が交錯する瞬間でもあります。
葬儀の光景は現実には非常に切なく、悲しいものですが、おくりびとの世界では当たり前のものとされ、死を前向きに受け止めるように描かれています。
葬儀の主人公である死者は自分の葬儀を観ることはできませんが、こんな風におくられたいという気分にさせられるのがおくりびとの中の葬儀です。

おくりびとは、納棺師という死者を棺におさめるまでの仕事が描かれていて、自分が死んだらこうなるのか、と気付かされます。
その中で、おくりびとがどれだけ大事に死者と接しているのかも丁寧に描写され、自分もいつか迎える死を意識せずにはいられません。
まさに葬儀とは人生の締めくくりだと、おくりびとの世界の中では語られ、加えて生きて見送る人々には切ない光景です。
おくりびとの中で驚かされるのは、広末涼子のあっぱれなまでの「普通の妻」ぶりで、実際にまだ結婚していた頃はそうだったのかと想像させます。
広末涼子は大学中退やデキ婚、そして離婚などでバッシングを受けましたが、それをバネにするように演技力をつけ、おくりびとで主人公の悩みになる妻を演じています。
おくりびとでの広末涼子は、あくまでも夫に経済的に頼りっきりでありながら、わがままなところのある妻を演じています。
着実に演技力をつけて、一番役者が難しいといわれる「普通の人」を演じた広末涼子の役者としてのキャリアは、おくりびとでさらに上がっています。

おくりびとの中で広末涼子の演じている妻は、お通夜・お葬式という悲しみの現場の当事者ではないがために残酷になる役柄です。
なかなか夫の仕事について理解を示さず、逆に嫌悪感をあらわにしている広末涼子の演技はおくりびとの中で「おそらくは自分もそうなるかもしれない」と思わせます。
それだけリアルに「普通の人」を演じながら、持ち前の透明感が損なわれていない広末涼子のおくりびとでの存在感は不思議なものです。
どんな役柄を演じても、透明感が失われないという広末涼子であるから、ヒステリックな演技をおくりびとで演じても、不快感がないのではないでしょうか。
広末涼子の演じる妻は次第に夫の仕事について理解を示していく役柄ですから、おくりんびとの物語の中で観客に一番近い立場かもしれません。
ただ透明感があって不思議な美しさを持つ存在感だけの女優ではないということを広末涼子自身が証明して見せたのが、おくりびとです。
しかし広末涼子の最大の魅力である透明感と演技力によって、「観客の視線に近い人間」である妻として、おくりびとの物語で存在しています。
納棺師という夫の仕事に最初は嫌悪感を持ちながらも、次第におくりびとの重要さを理解していく変化を演じた広末涼子の演技力は目を見張るものがあります。
納棺師という仕事に対して知識がなく、その存在のやさしさを次第に理解させていく観客に近い広末涼子の妻の存在があってこそ、おくりびとは光るのです。
おくりびとという仕事に拒否感を示しながらも、生活のために見習いとして働き始める主人公の青年を演じたのが本木雅弘です。
本木雅弘は実力派の俳優として存在を注目されていますが、映画おくりびとの中でも確かな演技力を披露しています。
おくりびとという名前で語られる納棺師と言う仕事に対しての戸惑いの表情やあらわな拒否感、しかしその中にコミカルさを含ませているのはさすがです。
当初はアイドルでデビューした本木雅弘ですが、年齢を重ねるごとに演技力を増し、おくりびとの中でも主人公の「普通の青年」を難なく演じています。
おくりびとの中ではさまざまな表情やしぐさ、仕事から帰宅してからの行動などで、本木雅弘は主人公の心象風景を自然に表現しています。
オーケストラのチェリストから納棺師という仕事を嫌々ながら見習いとして働き始め、その仕事に目覚めていく姿を、おくりびとで観ることができます。
納棺師というおくりびとにならざる得ない主人公を演じる本木雅弘の姿は非常に自然で、こういう青年が日本のどこかにいるかもしれないと思わせます。
当初の主人公の戸惑いや不安を重くならずにユーモラスにおくりびとで演じる本木雅弘は実際に納棺師を体験したのでは、と思わせるほどです。
おくりびとについての情報をサイトやブログ、掲示板を使って集め、おくりびとでの本木雅弘の演技を調べてもいいでしょう。
どこまでも普通の青年を演じている本木雅弘の演技は、おくりびとという映画をコミカルなのにリアルなものにしています。
おくりびとの中に登場してくる人物たちは個性的ですが、その中で本木雅弘の演じる主人公は一番地味な存在かもしれません。
主人公でありながら地味であるという奇妙で難しい役柄を本木雅弘は非常に自然な姿で、おくりびとの中で演じています。
本木雅弘がデビュー当時は美少年アイドルであったことが思い出せないほど、普通の青年を完璧に演じているのが、おくりびとです。